私の名前はフォレスト・プルイットで、IGDA日本によって2014年のスカラーに選出されました。私にとって、このことはアメリカのテネシー州から東京ゲームショウのために東京に旅行することを意味していました。初めての日本旅行で、五里霧中でした。旅行にあたってさまざまな心配事がありました。日本語が喋れないことだとか、複雑な公共交通システムだとか、すぐにガイジン(外国人)だとわかってしまうこととか、これらのことでまったくナーバスになってしまいました。それと同時に、子どもの頃から憧れていたイベントに参加できるチャンスをえたことで舞い上がっていました。私は子どもの頃からずっと日本文化と日本のゲーム産業の虜だったので、現地で実際の開発者に会える機会を得たことにしびれました。
異文化の障壁を和らげるため、そして観光のために数日早く日本に到着しました。JRに乗り、ある地点から別の地点へと、できるだけ早く移動する挑戦をしました。初日だけで皇居、新宿、秋葉原に行きました。そして自分が生まれ育った環境と文化がまったく異なることに戸惑いました。秋葉原のアーケード街では本当に時間を使いました(地元の街より何倍も大きかったです!)。そしてオタクカルチャーに浸りました。
初日にくたくたになって(私のFitBitによると、その日は4万歩も歩いてしました)、千葉に戻って十分に睡眠をとりました。翌朝、他のスカラーとスカラーシップの主催者、IGDA日本の小野憲史さんと尾形美幸さん、そして通訳の松山直樹さんにお会いしました。JRお茶の水駅の前で待っている間、お互いに見分けがつかなかったらどうしようと思っていましたが、グループを見つけて自己紹介をはじめるまで、それほど時間はかかりませんでした。
IGDAのスカラーシップ2014のグループの一員になって、どれだけ驚いたか表現するのはとても困難です。ゲーム開発が行われている世界中の地域から集まった驚くべき人々の集まりであり、プログラマー・アーティスト・ゲームデザイナー・プロデューサー志望など、多様性に満ちていました。もし10人もいなければ、一人ひとりともっと多くの時間を話したと思います。彼らはとんでもないことを成し遂げている、とんでもない人々でした。
最初のスタジオツアーはユビキタスエンターテインメントでした。ここで私たちは2つの異なった役割について伺いました。1つはビジネスサイド、もう一つは研究開発です。ゲーム事業はUEIの三本の柱のうち1つでした。残りはビジネスソリューションや研究開発、そしてコンテンツ開発でした。同社ではスマートフォンが登場する前から、携帯電話向けに最初のMMORPGを開発したと説明されました。同社の基幹技術でJavaScriptによって記述されたゲームエンジン、enchant.jsの紹介もありました。このゲームエンジンを用いてホビープログラマーがすでに何千本ものゲームを作っており、商業開発に利用されたゲームもありました。
開発室の見学もありました。50卓程度の机があり(前日の徹夜作業の結果、多くの開発者は自宅に戻っていました)、マンガやフィギュアや空のコーヒーカップなどが机にみられました。開発室は見通しが良く、たくさんの開発者が同じ部屋で作業をしていました。快適で明るい開発環境のように思われました。
その後、私たちは会議室に戻り、MOONblockについての説明を受けました。これはウェブベースのビジュアルプログラミング環境でした。ゲーム開発について手軽に教えることができるだけでなく、ラピッドプロトタイピングにも向くものでした。とても整然としたもので、アプリの一部はオンライン上で見ることもできます。
私たちはUEIを離れて、電車でランド・ホーに向かいました。時間が押してしまったので、昼食をスキップしましたが、憲史が親切にもカロリーメイト・・・歩きながら食べることが出来る美味しいクッキー・・・を買ってくれました。同社は80名程度の開発会社でした。セガの元スタッフによって設立された会社で、ドリームキャスト時代から業務を続けていました。競馬シミュレーションゲーム(日本では人気があるジャンルです)や『ジャスト・ダンス』『クリムゾン・ドラゴン』など、多くのゲームを開発していました。
ランド・ホーでの議論の大部分はディベロッパーとパブリッシャーでの働き方の違いに費やされました。ランド・ホーはディベロッパーとして、より大きな企業から受注を受け、タスクを完了させ、一定の金額を受け取り、販売に関しては関与しません。同社の担当者は自分がそうであるように、ディベロッパーとして働くことを勧めているようでしたが、そのメリットとデメリットについても公平に議論されました。パブリッシャーの内製スタジオではより多くの決断と特別なタスクを任せられますが、一人ひとりのゲームに対する貢献度は小さくなります。デベロッパーで働くということは、パブリッシャーが望む物を作るということになりますが、ゲーム全体の開発に携わることができるのです。
会社概要の説明の後、社内を少し見て回ることができました。開発室はビルの3層に分かれており、UEIと同じように少し空席がありました。立ち入りを許されないエリアもあり、少なくとも未公開のプロジェクトが1本走っていました。他と同じように、開発環境は快適のように思われました。
最後に訪れたのはAimingでした。同社は大変多くの開発者がいくつもの部署にわかれて働いている大企業で、圧倒されました。
Aimingは非常に若い会社で、2011年の5月に創業しました。同社にはたくさんのプランナーやプロデューサー、開発者、そしてオンラインゲームのオペレーターが存在し、合計で400人以上にものぼりました。幸運にも過去数年でたいへん急速に成長し、日本のモバイルゲーム向けにMMOタイトルをリリースし、幾つかのヒットを生み出しました。
Aimingの従業員は月曜日に勉強会に出席し、その週のゲームを社員全員でプレイしています。一緒に楽しみながらゲームをプレイすることで、運営効率が向上し、企業文化を創り出すことにも貢献しているのです。Aimingにはたくさんの専門職があり、それらの解説をしてくれました。
プランナーはゲーム開発においてコンセプトを創り、ゲームの仕様を決定し、レベルデザインを行い、ゲームのシステムを創り出します。この役職は西洋では「ゲームデザイナー」と呼ばれます。
オペレーターはゲームをユーザーに届け、ゲームプレイの状況をリアルタイムに分析します。フロントエンドのオペレーターはクライアント開発に直接話をして、バックエンドのオペレーターは刻々と流れてくるトラフィックデータを解析します。新しい従業員はこのポジションからスタートすることが多く、どのようにプレイヤーがゲームをプレイして、どのようにすれば改善できるか、感じを掴んでもらうのです。
デザイナー(西洋におけるアーティスト)は、ゲームプレイを止めたり、妨げたりすることなく、それぞれのゲームスタイルにあったアートアセットを創り出します。モバイルゲームでは画面が小さいため、デザイナーの役割は非常に重要です。キャラクター、背景、エフェクト、モーションデザイナーなどについて説明があり、テクニカルアーティストやイラストレーターについても触れられました。
エンジニアは非常に多くのツールを活用して、ゲームプランを創り、デザインし、ゲーム世界を創り出します。同社のウェブエンジニアは大半がRubyやPHPなどを使用し、リレーショナルデータベースの管理システムを活用して仕事をしていました。ブリッジエンジニアはローカライズや技術移転、海外との折衝などを通して海外展開における業務を担当します。サーバーエンジニアはツールと開発言語をゲームのタイプにあわせて使用し、クライアントエンジニアも同様です。私の経験では、これらは世界共通のようでした。今走っているプロジェクトにあわせてツールを使用するのです。というのも、本当に多岐にわたるのですから。
Aimingの会社見学が終了した後、私たちはデニーズ(驚いたことにアメリカのデニーズとはまったく違っていました)で夕食をとり、解散しました。
翌朝、私たちは幕張メッセの最寄り駅である海浜幕張駅で待ち合わせしました。入場には名刺とQRコードによるスキャンが必要でした(安定性に問題があるのでしょうか?)。そしてしばらく後にTGSのショーフロアに入場できました。初日の特徴といえば基調講演でした。基調講演エリアに到着するまで、世界で最も大きなゲームショウの一つである、素晴らしく魅惑的な会場を横切りました。そのため基調講演の間、大人しく座っているのが困難でした。
基調講演は日本語で行われましたが、英語しか話せない聴講者のために通訳レシーバーを貸していただけました。パネルディスカッションの形式で、パネラーには日本企業だけでなく、イギリスのキングからも参加していました。今年のTGSのテーマは「ゲームは変わる、遊びを変える。」で、パネリストにとってこの変化がコンソールからウェブやモバイルへの変化を意味していることは、共通の了解事項のようでした。日本から海外への展開におけるカルチャライゼーションについてもアドバイスがありましたが、内容の多くは開発者向けというよりもビジネスサイドやパブリッシャー向けで、聴衆の多くもそういった人々でした。
基調講演の後半は協賛企業であるグーグルによるプレゼンテーションでした。大ざっぱにいって、これはグーグルのAndroidプラットフォームの宣伝で、ゲーム開発者がAndroidを使用する理由について説明するものでした。基調講演にはもっと適した内容のものがあるとも感じましたが、協賛企業による講演ということなのでしょうか。もっともその場にいた人々が、どれくらいグーグルの戦略について興味があったかは不明ですが。言うまでもなく、基調講演のこのパートは楽しめませんでした。
グーグルの講演の後、自由行動となりました。ビジネスデイだったので、それほど会場は混んでおらず、ブースからブースへと楽に移動できました。初日のほとんどはヤコブと一緒でした。オーストラリア人で、アーティスト志望の博士課程の学生で、英語版が発売されないであろうゲームについても良く知っていました。私たちはインディゲーム開発者と話をし、ブースをまわり、大変楽しみました。
東京ゲームショウはPAXやGDCといった他のゲームイベントとは違います。出展者と参加者の交流はほとんどありません。ゲーム自体に参加者との交流を行わせているのです。私は今年のGDCでそうしたように、ショウフロアーで出展物を見たり、出展者とさまざまな会話をしたりして過ごすことを期待していましたが、実際は今年中にどれだけ多くの種類のゲームが日本で発売されるのかと、周りを驚愕しながら過ごすことに費やされました。
初日の終了後、何人かのスカラーが集まって秋葉原に行き、夕食をとり、カラオケに行きました。その夜は最高でした。私たちは食券形式のレストランに行きました。その後、カラオケの個室におさまり、ポップソングからアニメまでさまざまな曲で盛り上がりました。その夜はみんな、ふらふらになるまで楽しみました。この旅行でもっとも思い出深い出来事の一つでした。
翌日、私たちはTGS会場に戻り、ショウをより楽しました。私は『モンスターハンター4G』をプレイする機会に恵まれました。ニンテンドー3DS向けに近日リリースされますが、英語版の発売はまだ未定のタイトルです。初日よりも、もっと多くのゲームをプレイし、開発者と話をしました。午後はセンスオブワンダーナイトに参加しました。世界中から集まった10個のインディゲームによるプレゼンテーションがあり、とても刺激を受けました。「百聞は1プレイに如かず」ですが、もし何か素晴らしいゲームに興味があれば、今年のファイナリストをチェックしてください。
スカラーシップとしての最後のイベントはINDIE STREAM FESの参加で、これは世界中のインディゲーム開発者向けのパーティでした。そこで『ロックマン』の生みの親として知られる稲船敬二さんをはじめ、たくさんのクールな人々に会いました。首都圏からはるか遠方までさまざまな企業の開発者と話をする機会があり、アメリカ国外でもゲーム産業はこんなに盛り上がっているんだと誇らしく思いました。
日本での残りの間、他のスカラーと一緒にすごしました。私たちは東京を探索し、古い神社をめぐり、美味しい食事を楽しみ、ゲームセンターでゲームを遊びました。東京滞在中の最終日が私の誕生日で、何人かは一緒に祝ってもくれました。
今回の経験がどれだけ素晴らしかったか、とても言葉に出来ません。東京の街を探索し、ゲーム産業を見学する機会を与えてくれたIGDA日本に大変御礼を申しあげます。素晴らしい友人もでき、これからも連絡を取り合うつもりです。東京エリアでのゲーム開発者のネットワークもでき、あまり知られていなかったゲーム文化についても知見が得られました。素晴らしい時間をすごせました。もし応募に躊躇している人がいたら、応援したいと思います。無視する理由はなにもありません!(テネシー大学、フォレスト・プルイット)
My name is Forrest Pruitt, and I was selected as a 2014 IGDA Japan scholar. For me, this meant traveling from Tennessee in the United States to Tokyo for the Tokyo Game Show. It was my first time visiting Japan, and I had no idea what to expect. I was apprehensive about many things before the trip; not speaking japanese, the insane public transportation systems, being an obvious gaijin (foreigner), and not having anyone I knew in the area all made me quite nervous. All the same, I was incredibly excited to have the opportunity to attend an event I had dreamed of attending since I was a young child. I have always been intrigued by Japanese culture and interested in the Japanese game industry, so I was ecstatic to have the chance to meet actual developers there.
I arrived a few days early to get my bearings and do a bit of sightseeing. I spent time riding the JR line trains around, trying to get a feel for how to quickly get from place to place. I visited the Imperial Palace Gardens, the Shinjuku area, and Akihabara on my first day, mostly wondering around and observing a culture so different from my own. I spent far too much time in the arcades in Akihabara (they are so much bigger than back home!) and soaking in the otaku (geek) culture around me.
After an exhausting first day (my FitBit tells me I took more than 40,000 steps that day), I headed back to Chiba and slept well. The next morning, I was to meet the other scholars and the organizers of the scholarship, namely Kenji Ono and Ogata Miyuki from IGDA Japan and Naoki Matsuyama as our translator. Waiting outside the JR Ochanomizu train station, I was worried it would be difficult to find each other, but it did not take long for a large group of us to accumulate and for the introductions to begin.
I can’t express how amazed I am at the group of people that made up my 2014 IGDA Scholars program. These impressive individuals were an international group with backgrounds that touched all areas of game development, from fellow programmers to artists to designers, to producers. If there were not ten of us, I would spend time talking about each one of them-- suffice it to say, they are incredible people doing incredible things.
Our first studio tour was at Ubiquitous Entertainment Inc. (UEI). Here we heard from two individuals in different roles; one on the business side of things, and another who is a researcher and developer. Games are only about ⅓ of what UEI develops; the rest is in the areas of business solutions, R&D, and content development. They claimed to have created the first MMORPG for mobile devices before smart phones existed. The main technology they demonstrated for us was enchant.js, a Javascript game engine. There are already thousands of games developed by hobbies and some professionals use it in Japanese markets.
A few UEI employees showed us around their studio. We got to see the desks of around 50 (many were at home after an all-nighter the previous day), each containing manga, collectible figures, or empty coffee drinks. The environment was open, with many developers sharing the same space. It seemed like a pleasant and bright working environment.
Afterwards, we were taken back to the small lecture hall to hear about MOONblock, a drag-and-drop, web-based game programming environment. It is set up to make teaching game development easier, as well as making rapid prototypes. It is pretty neat, and can be viewed online.
We left UEI and took the train to Land Ho!, a development company of around eighty people. Skipping lunch due to time constraints, we went quickly. Kenji was kind enough to buy 'Calorie Mates' for all of us- a surprisingly nutritious and delicious thing that resembled a thick cookie designed for eating on the go.
The company was originally created by former SEGA developers, and started making games during the Dreamcast era. They have worked on horse racing simulators (apparently a popular genre in Japan), as well as some of the Just 'Dance! games', 'Crimson Dragon', and many others.
The conversation at Land Ho! was mostly around the differences between working for publishers versus developers. As a developer, Land Ho! takes work from larger companies, completes the task, is paid a fixed amount, and does not get paid dependent on how well the game does in the market. Our speaker was clearly biased towards working for developers (as he himself does), but he discussed the pros and cons of both. Working in a studio at a publisher usually means more direction and specific tasks, but less individual impact on the game. Working for a developer can mean working on only what publishers will pay you to work on, but each developer has more power over the whole process.
We toured the offices of Land Ho! after this conversation. Their working space was spread across three floors, but still had an open plan like UEI. There was much we weren’t allowed to see, as they were working on at least one unannounced game. All the same, the environment seemed quite pleasant.
The final studio was Aiming. When we arrived, we were greated by a number of the employees from a number of departments at Aiming.
Aiming is a relatively new company, having only started in May 2011. Aiming is a massive planner, producer, developer, and operator of online games in Japan with more than 400 employees. It had the fortune to grow very quickly, having created a few very successful Japanese mobile MMO’s in the past years.
Employees at Aiming attend ‘study sessions’ on Mondays and play games together throughout the week in an attempt to get all developers ‘on the same page’. This positive time together speeds up operations and is at the core of company culture. There are many possible roles at Aiming, some of which they described to us.
Planners create concepts, design game specs, create levels, and create the rules of the games in development. This role is equivalent to the Western ‘Game Designer’ role.
Operators deliver games to users and monitor/analyze live gameplay. Front-end operators talk to clients directly, seeking feedback, while backend operators perform analytics on the massive stream of incoming data. New employees tend to start in this position, to get a feel for the game works, how people perceive it, and what is being done to improve it.
Designers (Artists in Western studios) create art that conforms to the style of the game without interrupting or interfering with gameplay. This is especially important for mobile games, which operate on relatively small screens. Character, Background, Effect, and Motion Designers were discussed, as well as technical artists and illustrators.
Engineers use an incredibly large variety of tools to take the game plan and design and create the world. Web Engineers at Aiming mostly use Ruby, PHP, and relational database management systems to do their work. Bridge Engineers do localization, tech transfer, and global negotiation work-- basically, doing the work to get a game from Japan to another country. Server engineers use tools and languages dependent on the type of game, with the same going for Client engineers. In my experience, this is standard throughout the world; you pick your tools based on the individual project, because there are so many!
After finishing up at Aiming, the group had dinner at a Denny’s (surprisingly nothing like Denny’s back in the states) and split up.
The next morning, we all met up outside of Kaihin Makuhari station near the MASSIVE Makuhari Messe convention center. We traded a business card and a QR scan for our passes (a seemingly insecure system?) and waited for the moment we would be allowed to enter the TGS show floor. First on the agenda for the day was the keynote. To get to the hall with the keynote, we had to walk through the amazing, sensory-overloading floor of one of the largest game conventions in the world, which made settling down at the keynote pretty difficult.
The keynote was in Japanese, but they gave out translation receivers that allowed the English-only speakers among us to still understand it. It was in a roundtable format, with representatives from all across the Japanese market as well as a guy from King in the UK. The theme of TGS this year was ‘Changing Games: The transformation of Fun’, and the people in the keynote seemed to all agree that this transformation was one from console/web to mobile. They offered advice on culturalization of games in and out of Japan, though most of the content seemed to be meant less for developers and more for the business and production minded individuals in the audience.
The second half of the keynote was sponsored and presented by Google. To put it gently, it was basically just a massive advertisement for Google’s Android platform and why developers should use it in their games. It felt like a talk that would have done better not as a keynote, but as a sponsored talk where people who had never heard of Google could go and become indoctrinated. Needless to say, I did not enjoy this part of the keynote.
After the Google talk, the other scholars and myself were set free onto the Tokyo Game Show floor. Because we were attending on business day, the crowds were not too large and we were able to move between booths with ease. I spent most of the first day with Jacob, an artist and Masters student from Australia, geeking out over the various games that would not be Westernized for years to come. We chatted with indie developers, took loads of pictures, and mostly just gawked at the sheer marvel of the show.
Tokyo Game Show is different than other game events, like PAX or GDC. There are very few talks that go on; they mostly let the games talk for themselves. I was expecting to fill my days with a mixture of talks and seeing stuff on the floor like I did earlier this year at GDC, but ended up finding myself with much more time just to wander around and see what kinds of games were being made in Japan this year.
After the end of the first day, some of the scholars got together and headed out to Akihabara to have dinner and sing some Karaoke. The whole evening was great. We went to a restaurant that you bought your meal from a vending machine, were given a ticket, and gave it to the cook at the counter. Afterwards, we went to a Karaoke bar with private rooms, and tunes from games to pop culture to anime, and everything in between. I feel like we all really bonded that night, and it is one of my fondest memories from the trip.
The next day, we went back to TGS and enjoyed the show more. I got a chance to play Monster Hunter 4G, a game recently released on the Nintendo 3DS, but with no scheduled release for the west yet. I played many more games and talked to more developers that day. At the end of the day, we all attended an event called ‘Sense of Wonder Night’. It showcased 10 independent games from all over the world that were in some way awe-inspiring. Most of the games are better seen than described, but if you are interested in seeing some amazing games, check out this years finalists.
The last event I attended as part of the scholarship was the Indie Stream Fest, a party for independent developers from around the world. I met many cool people there, including Keiji Inafune, the creator of Mega Man. I got a chance to talk to developers from companies local and from far away, and really get a better feel for the game industry outside of the United States.
The rest of my time in Japan was spent with the other scholars. We explored Tokyo together, seeing old temples, eating tasty food, and playing games in arcades. Some of us got together and celebrated my birthday, which happened on my last day in Tokyo.
I can’t express how amazing this experience was. I am incredibly thankful to IGDA Japan for the opportunity to see and explore Tokyo and the game industry there. I made some amazing friends that I have remained in contact with. I was able to network with developers in the Tokyo area, as well as gain insight into a gaming culture I had not had much exposure to. I had a fantastic time, and I want to encourage anyone considering applying to the program to do it. You will not regret it! (The University of Tennessee, Forrest Pruitt)
日本語翻訳:小野憲史, Internationalization Force, IGDA日本
Japanese translation: Kenji Ono, Internationalization Force, IGDA Japan